エルミア・ド・ホーリィーの贋作

印象派の時代


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エルミア・ドーリィー・ブータンなど、幾つかの別名を持って生きなければならなかった、エルミア・ド・ホーリィーはハンガリーの裕福な家庭に生まれた。 十代で家を離れ、ミュンヘンで絵画の研修を終えた後、モンパルナス全盛の1920年代のパリでフェルナン・レジェが教えるアカデミーで更に絵画の勉強を続けた。 そして、1926年エルミアが20歳になった時サロン・ドートンヌ展に入選。 しかし彼はその後、自分自身の絵で輝くような名光誉を得ることがなく、彼が贋作の対象にした20世紀のフランス絵画の巨匠たちのようにはなれなかった。 その巨匠たちは無名時代に一緒にモンパルナスで暮らし親しく付き合った人達だった。

1965年に第二次世界大戦が終わり、今まで必要なとき必要なだけ、いつでもお金を送ってくれた一家の財産はなく、ハンガリー人貴族としての何物も失ったエルミアは、貧しい芸術家の仲間とともに才能の開花に夢をかけるしかなかった。
がパリの画廊は若くもなく無名の彼の肖像画など顧みなかった。

1946年彼が描いたピカソのデッサンを友人が見た、そしてそれを買ったのだ。 その日を生きなければならなかったエルミアは、その時の金で2ケ月は暮らせた。 この偶然によって、以後21年間、贋作の事実は知られずに1000点近い作品を制作することになった。  

エルミアが描いた贋作の対象画家は、彼の師匠ともいえるレジェをはじめブラマンク、ブァン・ドンゲン、ピカソ、ドラン、マチス、デュフィを中心にルノアール、モジリアニなど・・・現代フランス絵画の巨匠wpそうなめにしている。 エルミアがヨーロッパ時代に親交のあった画家の贋作が多いのは、彼がその作家をよく知っていたし、好きだたからともいわれている。

自分が好きな人を選び、そして、その作家が持つ特殊性を調べ作品そのものを入念に研究し尽くすことに全ての精神を費やしたと言う。

たとえば、デュフィのよく出てくる椅子・楽器・窓などの特殊なものを探し、モジリアニの肖像画のポーズを研究し、マチスの線の単純さの秘密を発見し、決してその作家の精神や個性、自己表現に感情移入して描こうとしなかった。 その意味では贋作画家としての限界うぃ知り、自分の絵の才能と技能を駆使することで贋作に磨きをかけた。

1906.....ブタペストに生まれる
1924.....ミュンヘンでアカデミー・ハイマン校に入学
1926.....フランスのアカデミー・ラ・グラン・ショーミエールに入学。
フェルナン・レジェに師事。
             サロン・ドートンヌに風景画が入選、ブラマンクと同室に展示される。
1932.....パリを離れる
1940.....ハンガリーに帰国
1941.....政治犯として収容される
1945.....パリに戻る
1946.....ヨーロッパ大周遊の旅に出る
南米リォデジャネイロ滞在
1947.....ニューヨーク滞在
1948.....ニューヨーク、リリアンフェルド画廊で個展
カリフォルニア滞在
1949.....テキサス滞在
1950.....シカゴ滞在
1956.....メキシコ滞在
1956.....再度アメリカ滞在
1959.....ヨーロッパに戻る
1960.....ミラノ、モンテ、ナポリオーネ画廊にて個展
1968.....イビサ島を離島
1075.....死去


Renoir

コートに花をつける女
90x57cm
可愛いドレスうを着た二人の少女 96x76cm

壷に花を活ける女
70x60cm
犬と二人の少女
80x60cm

ダンスを踊る男女
50x75cm
花束を持つ少女
62x91cm

戯れるヌード
85x57cm

次回はモネ(Monet)の予定です

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